三沢敦
消防団員や報道関係者ら43人が犠牲となった、雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から3日で32年となった。「いのりの日」と定める地元の島原市では各地で追悼行事が営まれた。発生時刻の午後4時8分には全域にサイレンが響き、市民らが黙禱(もくとう)を捧げた。
「定点」と呼ばれた報道陣の撮影拠点や、消防団員の詰め所だった北上木場農業研修所跡では遺族らが祈りを捧げた。雲仙岳災害記念館前の広場では子どもたちが作った約千個のキャンドル「いのりの灯(ともしび)」がともされ、家族連れらが静かに手を合わせた。
館長の杉本伸一さん(73)は「32年が経つのに昨日のことのよう。この日が近づくと亡くなった消防団員や火砕流の夢を見る」と話す。当時は近くの安中公民館に職員として勤務。天候が悪化してきたため、警戒中の消防団員に注意を呼びかけに向かおうとしていた矢先だったという。
「少し早く出発していたら自分が巻き込まれていたかもしれない。地域を守るために亡くなった人、報道のために命を落とした人。それぞれの思いをしっかり後世に伝えるのが残された私たちの使命です」と話した。(三沢敦)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル